本日は、この4月に親鸞聖人750回忌を厳修される、G寺様の式務を仰せつかっているので、ご住職と、役の方々とともに打ち合わせに行ってきました。
当日の法要のプログラムである「差定(さじょう)」についても決めさせていただき、概ね決定しました。
それにしても、こういう法要の差定、普段使うことの無い言葉や言い回しなど、現代人である私にとっては難しいものがあります。昔から伝わっていることでしょうが、どういう意味合いのものか、なんて読むのか、どういう漢字を書くのか、などなど、すべてが難しい。でもまぁ、多少間違えていても?、気持ちを込めて精一杯やることが大事ではと思います。
 帰宅してから、参考までに、今から150年前の親鸞聖人600回忌の「差定」が当寺に保存されてるので、それを出して来て見てみました。亡くなった私の父親は、本山(秀源上人の頃)の600回忌の時の差定だろうと言ってましたが、この差定、年号を見ると、文久3年3月10日〜14日 となっています。誠照寺史を見ると、本山の600回忌は、「文久元年六月には宗祖聖人六百年遠忌を十昼夜にわたり厳修、群参を見た。」とあります。その後文久2年11月に、本山御影堂、本堂、ほか四足門以外すべて火災で焼失したとのことで、当寺に伝わっているこの差定は、本山の御遠忌より2年後に行われた、当寺、善福寺での600回忌のものだと思われます。
 それにしても、5日間にもわたって行われたこの大遠忌、凄いものがあります。
ちなみに和紙の巻き紙に書かれたこの差定、メジャーで長さを測ってみたら、なんと11メートルもありました!。今では誰もあげることの出来ないような項目ありそうです。
 現在では一般寺院でとてもそんな長期間法要を行うことなど不可能ですが、江戸後期の当時はそういう時代だったことが分かります。
差定1

差定2

差定3

差定4

差定5

差定6

差定7

差定8

差定9

差定10


 見れば見るほど「昔の人は凄いなぁ〜」と感心するばかりです。お参りの方々も、楽しみでずっと本堂にいらしたんでしょうか、今で言うと、フジロックフェスとかに泊まりがけで見に行くようなもの?。