夕方、昨日亡くなられた同行の方の通夜法要のお勤めをさせていただいた。今回はご近所の方々も回り焼香でお帰りになられたようで、お勤めが終わった頃には、ご親族や近しい方だけが残られていたようだった。それでも故人の子どもさんである喪主の方たちご兄弟は、参列者への挨拶のために、入り口で横向きに座らされている状態だった。せっかく回り焼香の方はもう皆さん帰られてしまった後で、一番近しい肉親の方だけが残られており、その方たちにこそ、通夜のお勤めを一緒にお参りいただきたかったなぁという気持ち。
本来、通夜は悲しみにくれる近親者が故人を偲び、感謝の気持ちで、あらためて仏法を聴聞させていただき、実はいのちの問題は我が事だったと捉える尊いご縁だと思うが、どうも対外的なセレモニーになってしまってるなぁと改めて感じた。
僧侶も葬儀屋さんも、もう一度、誰の為の通夜や葬儀なのかということを原点に帰って考え、執り行わなければ、身内は救われないなぁと反省した次第である。