宝物展に出展した中で、皆さん興味をもって見てくださったのが、この図です。
善福寺明治時代の図カラーS

明治23年(1890年)に、16世住職であった「安野量念法師(天保7年(1836)生~明治31年(1898)没)」が、当時の福井県知事宛に提出した文書の最後に描かれているものです。おそらく、現在の法務局や県知事に提出しなくてはならない公式文書のようなものだったんでしょう。
 色はついておりませんので、この画像は私が想像してパソコンで色をつけたものです。曾御爺さんとの120年越しのコラボ作品です(笑
 門徒総代の大森家文書(江戸時代安永年間)によれば、宝暦4年(1754年)に裏山を削り、本堂を建て直したとの記録があるとのことですので、この絵に描かれている本堂がそれだと思われます。
茅葺の本堂と式台、庫裏だった様子がわかります。
 この後、1912年(大正元年)に本堂、庫裏を建替え始めたとのことです。
 ちなみに、私の父が祖父から聞いた話によれば、絵の本堂正面に小さく描かれている枝垂桜が、平成16年に倒木した天然記念物の枝垂桜の大木だったようです。その親木である老木が境内の西の方に立っていたとのことらしく、絵の左側に描かれている枝垂桜がその親木だと思われます。その老木は子木が大きくなるにつれて次第に枯れていったらしく、桜も世代交代をしていったとのことでした。
 平成16年に倒れた天然記念物であった枝垂桜の近くにも、その10年ほど前に子木が生えたのですが、狭い境内では2本もあると邪魔になるので先に切ってしまったのでした。今思えば残念な事をしたなぁという気持ちです。
 人間よりはるかに寿命が長いと思われ、まさか無くなるなんて夢にも思ってもいなかった桜の木ですが、こうして古文書と今の現実を見るとやはり世の無常というものを感じずにはいられませんでした。

善福寺桜
 (在りし日の枝垂桜と旧庫裏)
桜倒木朝日新聞補正
 (桜倒木翌日の朝日新聞記事の写真)