道性上人の子(門弟)で、誠照寺の開基といわれる如覚上人は、1321年に真照寺を建て、後の1437年に後花園天皇の勅願によって誠照寺と改名されたといわれています。
 ここ善福寺に所蔵の絹本着色「如覚上人御影」は、裏書(証明書)によれば、1702年(元禄15年)5月5日に誠照寺17代「秀如上人」から善福寺9世「智善」宛に下付されているものです。300年以上の長きに亘り、本堂内陣の法物として下げられています。
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 絵像は、やや左向きで畳台に座り、黒衣・墨袈裟着用、数珠を両手に持っているものです。
本願寺教団の「蓮如上人御影像」とお姿が良く似ているので、本願寺教団に見習って作った絵像だと思いますが、そもそも如覚上人がどういうお顔をされていたかは誰も分かりませんね。
おそらく想像で描いたんじゃないかと思うのですが、誠照寺派の願養寺さん所蔵の「如覚上人像」(岐阜県文化財指定)の写真を見たら、うちのと顔やお姿が良く似ています。なので、如覚上人のお顔の元絵があって、それを見て同じように描かれたものだと思いますがどうなんでしょうか。
尚、善福寺の御影像は「親鸞聖人御影像」と共に、明治36年4月に福井市木田の表具屋さんへ修理に出され、6月10日に寺へ戻ってきたと記録にあります。

(裏書の内容)
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*       釋秀如(花押)
*       越前州丹生郡大森村善福寺
* 上野山誠照寺如覚上人御影 常住
*       元禄十五壬午暦五月五日
*             願主釋智善
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