父が昨年往生してから今日でちょうど1年が経ち、本当にたくさんの方々のお陰で、全くすべてに不慣れな私が今日を迎えることができたことに心から感謝しています。
1周忌は前月にすませたので、今日は家族だけで静かに仏前でお参りをしました。
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 ほんと、あっという間の1年だったなぁ~というのが実感です。ただ単に年をとったせいかもしれませんけど。
 1年経って感じることは、「1年間も会わないとやっぱりとても寂しい・・・」ということ。頭では「もう往生したんだから」と理解しているつもりでも、心に寂しさがやはり次々にこみ上げてきて、ふとした拍子に涙ぐんでしまうこともあります。昨年、主治医から父の終末期を告げられた時はやはりうすうす分かっていたことでもショックだったことを覚えています。その後残された時間でグリーフケアについて少し勉強し、死別の際の家族の不安定な精神状態があたりまえだということを認識したり、御文章をあらためて何度も拝読したりしたせいか、実際の臨終にあたっても少し客観的に父の死を受け止めることが出来たようには思います。ですが、本能的な感覚というか、心の中ではやっぱり喪失感や、最期まだ何かしてあげられることがあったんじゃないかという自責の念や、悲しみといったものが次々と湧き上がってきます。
 しかし最近、そんなとても不安だったり悲しい気持ちだったりするときに、お念仏を唱えて心がすーっと安心に向かっていく自分がいます。別に自分から念仏を唱えて気持ちを楽にしようとしているわけでもないし、かといって何かに感謝してお念仏を唱えたわけでもないんですが、なんだか自然に唱えていて、その声を聞いているうちに再び気持ちが落ち着いてく感覚。これが単なる自己暗示的な作用なのか、はたまた阿弥陀様からの呼び声なのか、浄土の父からの還相回向なのか頭で理解は出来ませんが、いずれにせよ「お念仏とはありがたいことだなぁ」ということだけは少し味わせていただいています。