ただいま報恩講とご巡教の準備中なのですが。。。

 11月3日の当院報恩講に併せて、今年は御法主様のご巡教をいただくので、ただいま色々と準備中です。今年は9月1日の永代経、23日の前住職1周忌、11月3日の報恩講&ご巡教と秋のイベント、いや仏事が多くて、なんだか準備が大変です。
 やらなければならない事をリストアップしてやっているつもりなのですが、そもそもすべて初めてのことが多く、リストアップそのものが的を得ているのかどうかすらわかりません・・・。
 実際自分がやってみて初めて、父が今までやってきたことのありがたみがようやく分かった感じです。
 というわけで、気持ちが焦るばかりで、結局はぼちぼちしか進んでおらず、法要の前日に慌てながら、「まぁ、明日もなんとかなるでしょ・・・」といつものダメパターン?を歩みそうな気もします(汗;
 でも、いつも門徒さん方も誠意のあるお手伝いをしてくださいますし、お仲間のご住職さんも毎度的確で親切なアドバイスを下さり、皆さん方のお陰だなぁ~と、とてもありがたく思っています。

本堂

 
 最近の個人的なお気に入りは、ちょっと心身が疲れた時、誰もいない本堂でこっそりと、静かに阿弥陀様に向かってお座りをしてボーっとすることです。単に年をとっただけなのかもしれませんけど。
なんとも言えないような守られ感というか、安心感に包まれながら、心が満たされていくような不思議な感覚におちいります。
先祖代々や往生された親しかった人みんなが見守ってくださっているような気がするからでしょうか?。
 報恩講の準備中にもつい、「疲れたなぁ~」と、お座りしてボーっとしてしまうので、これが準備が進まない原因なのかもしれません・・・・。

空から栗が。。。

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本堂の裏山の崖の上のところに、大きな栗の木があります。
たぶんこの10年くらいでグーンと大きくなったもので、ここ数年はたくさんの栗のイガと栗の実を降らせます。
あまりにも、イガや栗の実や葉っぱが大量に落ちてくるので、切ってしまった方がいいのかなぁとも思いますが、実は食べられるのでとりあえずは今年もそのままにしています。小粒ですが味はわりと甘いです。
坊守は毎朝大量の栗の実とイガを拾うので、腰痛になってしまいました。
そんな栗もここ2,3日、あんまり落ちてこなくなりました。
だんだん秋が深まってきているんですね。



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父の1年目の祥月命日でした。

 父が昨年往生してから今日でちょうど1年が経ち、本当にたくさんの方々のお陰で、全くすべてに不慣れな私が今日を迎えることができたことに心から感謝しています。
1周忌は前月にすませたので、今日は家族だけで静かに仏前でお参りをしました。
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 ほんと、あっという間の1年だったなぁ~というのが実感です。ただ単に年をとったせいかもしれませんけど。
 1年経って感じることは、「1年間も会わないとやっぱりとても寂しい・・・」ということ。頭では「もう往生したんだから」と理解しているつもりでも、心に寂しさがやはり次々にこみ上げてきて、ふとした拍子に涙ぐんでしまうこともあります。昨年、主治医から父の終末期を告げられた時はやはりうすうす分かっていたことでもショックだったことを覚えています。その後残された時間でグリーフケアについて少し勉強し、死別の際の家族の不安定な精神状態があたりまえだということを認識したり、御文章をあらためて何度も拝読したりしたせいか、実際の臨終にあたっても少し客観的に父の死を受け止めることが出来たようには思います。ですが、本能的な感覚というか、心の中ではやっぱり喪失感や、最期まだ何かしてあげられることがあったんじゃないかという自責の念や、悲しみといったものが次々と湧き上がってきます。
 しかし最近、そんなとても不安だったり悲しい気持ちだったりするときに、お念仏を唱えて心がすーっと安心に向かっていく自分がいます。別に自分から念仏を唱えて気持ちを楽にしようとしているわけでもないし、かといって何かに感謝してお念仏を唱えたわけでもないんですが、なんだか自然に唱えていて、その声を聞いているうちに再び気持ちが落ち着いてく感覚。これが単なる自己暗示的な作用なのか、はたまた阿弥陀様からの呼び声なのか、浄土の父からの還相回向なのか頭で理解は出来ませんが、いずれにせよ「お念仏とはありがたいことだなぁ」ということだけは少し味わせていただいています。
 



法宝物(かつての本尊)について

善福寺に伝わっている、かつて本尊として門徒のあつい信仰をうけていたであろう、先人たちの思いがこもった貴重な法宝物を何点かご紹介いたします。

まずは、阿弥陀様の絵像です。
三方正面阿弥陀如来 伝恵心僧都御筆「三方正面阿弥陀如来絵像」です。高田専修寺(越前)の真教上人から息男と共に下付されたと寺伝にあります。いわゆる「方便法身尊像」ですが、本願寺教団以外では結構後の時代まで、「三方正面阿弥陀如来」(どの方向から拝んでも正面に見える)と呼んでいたらしいです。
 専門家によれば、これは本願寺教団が蓮如上人の頃から用いていた、室町時代(1490年~1500年頃)の絹本着色の方便法身尊像であるとのことです。寺伝が正しければ、何らかの理由で越前熊坂の専修寺に伝わり、それが当寺に伝わったものと思われます。
この絵像に裏書はありませんが、正徳4年(1714年)に誠照寺17世の「秀如上人」から定書を別途いただいています。
(定 一 恵心僧都御筆三方正面阿弥陀如来無相違者也 正徳辛午四歳五月四日 誠照寺 釈秀如(花押))





こちらも阿弥陀様の絵像です。
阿弥陀如来絵像 こちらは紙本着色のものです。
見るところかなり古筆だと思われますが、年代、由緒等は不明です。前住職は「笑う阿弥陀さん」と言っていました(笑














 次に、名号本尊です。こちらは、放光十字名号です。
放光十字名号本尊
絹本に載金と金泥で書かれた「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」の“十字名号”です。1500年前後のものでしょうか。
特徴は本願寺教団(蓮如上人、実如上人の頃の無碍光本尊は光明が48本)と違って、当寺のは光明の数が45本しかありません。原始真宗門流で使われていたものや、誠照寺教団で往古使われていた十字名号は光明が48本無いものが多いとの話もあります。









 六字名号です。
伝弘法大師筆六字名号「南無阿弥陀仏」のお名号ですが、よく見ると筆書きのものではありません。さらに、かなり古いものを裏打ちしなおして表装してあるようです。道場の本尊としてかけられていたものでしょうか。下から拝んでも真正面に見えるようにか、上に行くほど文字が大きくなっています。
寺伝では伝・弘法大師筆ということになっています。













十高僧連坐像(天竺震旦高僧連坐像)です。
インド中国十高僧連座像インドと中国の高僧を描いたものと思われますが、古くて横の札名が読めません。岡崎「妙源寺」様に伝わる、光明本尊(3軸で1揃のもの)などと同種のものかと思われます。仏光寺系などで使われていた、1軸の大型の光明本尊を切り取った可能性もありますが、背景に光明がないので、元来これだけで単独の絵像と思われます。誠照寺史によれば、「往古九高僧なる連座御影を使用した形跡がある・・・、道性如覚の没後光明本尊別開きの絵系図流行を見た当時として・・・云々」とのことなので、三河の専海系の流れを汲む門流などでは、日本の高僧図とインド中国のこの高僧図を別軸として、名号軸と3軸で1セットとして使われていたと思われます。
対となる日本の高僧連坐像(鯖江派の九高僧図)もかつてあったはずですが、現在当寺には残されていません。
 現在、当寺の余間に掛けられているいわゆる七高僧と聖徳太子像の裏書が「正徳4年(1714年)」ですので、それまでは脇掛けとしてこの古いタイプの連座像が拝まれていたのではないかと思います。

 先ほどの三方正面阿弥陀如来の定書も正徳4年なので、どうもこの年に内陣の宝物をがらりと変更したのではないかと思われますが真相はいかに・・・・。

福井県福井市大森町 善福寺のご案内・アクセス

みなさん、ようこそお越しくださいました。
こちらは福井県福井市大森町にある善福寺です。

 当寺は、真宗誠照寺派(しんしゅうじょうしょうじは)という宗派に所属しています。親鸞聖人を開祖とする浄土真宗の流れを汲むお寺です。

 大森町の天目山(天日神社)の下に位置し、志津が丘からも良く見えるお寺です。

善福寺の歴史はこちらをご覧ください




安野山 善福寺 (annozan zenpukuji)
福井市大森町32-4
0776-98-3074
真宗誠照寺派 安野山善福寺

ようこそ、
こちらは真宗誠照寺派の善福寺です。
■福井市大森町32-4
0776-98-3074
www.annozanzenpukuji.com
annozanzenpukuji@gmail.com

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